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はるさんがいなくなって思うこと

はるさんが亡くなった後、ペットロスについて何人かの方から、すっと腑に落ちるときが来て進めるようになるから大丈夫だよ、との励ましのお言葉をいただきました。
私にはまだその瞬間は舞い降りてきてはいません。人によっては数年かかるようです。

はるさんが亡くなってから 3 日ほどで食欲も少し出てきたり、仕事に復帰しなければいけなかったこともあり何もしたくない状況からは抜け出せました。ただそこからは 1 ヶ月を過ぎても悲しみの量はなかなか減りませんでした。平日は仕事で緊張感があるためまだ大丈夫なのですが、金曜日の夜から日曜日の夜にかけてはどうしてもはるさんを想って泣いてしまいます。

このサイトを作成するにあたってはるさんの過去を振り返るため、悲しいと感じる機会が増えるということもありましたが、次第に眠れない夜が増えていき、夜中に涙が止まらなくなるためリビングで過ごしたりもしました。
何となくですが、少しずつ悪化した時期があったのだと思います。

母親が亡くなった時は、ああしてあげればよかったとか、してあげなかったせいで本人はあの時辛かっただろうなと後悔から悲しくなることが多かったですが、私の場合はるさんに限ってはそう思って悲しくなることはありませんでした。悲しくなる理由は、純粋にはるさんがいなくて寂しい、悲しい、はるさんに会いたいという気持ちだけです。それだけで涙が止まらなくなるのです。

一言で言えば、私ははるさんにどっぷり依存していたのだと思います。依存してしまえば失った時の喪失感が深いのは当たり前ですが、1 ヶ月を過ぎたときにようやくその意味が分かるようになりました。

わんさんは私たちに無償の愛をくれます。程度の差はありますが、その人の行いや性格に関わらず、一緒に暮らせばその人の存在自体を毎日毎日認めてくれるのです。365 日、必ずです。

それだけではありません。不思議でかつ不謹慎かもしれませんが、はるさんはどんなに辛くて具合が悪い時でも、必ずかわいいなと思わせる子でした。それは亡くなったその日も、その身体がなくなってしまうまでも変わりませんでした。

大変な病気なのに、いつでも優しくて明るくて前向き。病気のお世話をしているのは私なのに、はるさんはいつも私を笑顔に、幸せにしてくれるのです。時には看病が辛いなと思うこともありましたが、家族やたくさんの人に支えられながら、何よりもはるさんのかわいさが私を最後まで頑張らせてくれました。
もし私が脳炎や癌などの病気だったら、周囲に対してそんなにかわいくて優しい態度を取り続けることはとてもできません。本当に尊敬します。

果たして人間同士でそんな関係を築くことは可能なのでしょうか。少なくとも私の場合、はるさんと出会うまでは存在自体を常に認めてくれて、何をしようと変わらぬ愛情をくれて、見ているだけで笑顔と癒しだけをくれる存在を知りませんでした。一切の不満もない、責めることもない、責められることもない。

私は周囲の人にはとても恵まれていますが、そんな関係を誰かと築いたことはありません(それが健全かどうかは別の問題ですが)。そんな私ですから、はるさんがもし元気だったら、少し怖がりで、散歩や他のわんさんとの挨拶が苦手で、嫌なことがあると噛むこともあるはるさんを常に全て受け入れられていたかどうか分かりません。(そもそも全て飼い主の問題ですね。。)

はるさんが病気になって初めて、私もはるさんの全てを受け入れられて、より深い愛情を注げるようになりました。
病気自体はないほうがいいに決まっています。でも、はるさんとそんな関係が築けたことはとても幸せでした。

その存在を丸ごと認めていて、何をされても愛情を注げる、相手もそうだと感じることができる。そんな関係を築いた対象がいなくなってしまったから、こんなに悲しいのです。
わんさんとの間にそんな関係を望まずきちんと一線を引くこと、自分が十分に自分を認めてあげること、きっとそのようなことが喪失感を大きくさせないために必要なことなんだろうと思います。そう理解はしていても、もしまたわんさんと暮らすことになったら、私はまた同じことを繰り返さない自信はありません。。

はるさんをお家に迎えてから 5 年、いつの間にか生活の全て、働くことさえはるさんのためになっていました。また以前のように自分のための生活に戻るまではまだしばらく時間がかかりそうです。
はるさんを迎えた日、脳炎と診断された日、この子を守るのは私しかいないんだなと思ったものですが、はるさんがいなくて何もできないのは実は私の方でした。



脳炎と診断された時、治らない病気と分かった時は本当に辛かったです。もしかしたら数週間、長くても数年ではるさんは私の元からいなくなってしまう。
治らない病気を捻じ曲げてでも治してあげたいという思いと、少しでも長く生きて欲しいという思いと、死ぬまでの間に少しでも元気に過ごしてほしいという思いの間で揺れ動きながらの 2 年半でした。

はるさんと突然のお別れになるよりは、2 年半という幸せな時間の猶予を貰えてよかった。それまでにできることをしてあげられてよかった。はるさんが亡くなる前も、亡くなった後も、その思いに変わりはありません。その思いのお陰で、はるさんのお世話をいくらか前向きに頑張れたことも間違いありません。その頑張り方が間違いだったとも思っていません。

でも、1 日 1 日確実に少しずつ悪くなっていくはるさんを見ながら、私は確かに辛かったのです。
昨日よりもうまく階段を登れず、歩けず、転び、食べられなくなっていくはるさん。
いいところ、悪いところを見つけて一喜一憂する毎日。
大好きでこの世で一番かわいいはるさんが死に向かっていくのを毎日感じながら、辛くないわけがないのです。

前向きに考えよう、明るくお世話をしようと、その気持ちをぐっと抑えていましたが、亡くなった後にはるさんの写真や動画を見ながら、本当は毎日辛かったことに気が付きました。亡くなった後それに気付いて初めて、辛かったねと自分に声を掛けてあげることができました。

大切な家族が亡くなった後には、自分の心のケアも必要です。辛かったこと、悲しかったこと、頑張ったこと、気付いてあげてくださいね。



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